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草枕の旅 道中編
 

草枕の旅はやっと”今宵の宿”
那古井の温泉場」にたどりついた 


 髭の隠居 日潮士・前田案山子(にっちょうし・まえだかかがし)

 「草枕」の中で、”頭の毛を悉く抜いて、頬と顎へ移植した様に、白い髭をむしゃむしゃと生やして”と描かれている”志保田”の隠居。このモデルとなったのが、第一回衆議院議員(明治23年) を引退し、別邸で隠居生活をしていた前田案山子である。
 自由民権運動の活動家でもあった案山子は、度重なる塩害に加えて明治政府が始めた干拓新地への課税措置等から地先農民を救うために免租(免税)請願運動を行い、長い年月をかけ、明治26年に30年間の免税特典を勝ち取っている。
 案山子は、漱石が訪れた7年後の明治37年に亡くなったが、墓碑には貫いた信念を誇示するかのように日潮士の名が刻まれている。
 案山子の墓は、八久保の本邸や本家の墓地から離れ、湯ノ浦の別邸のすぐ上に有明海を向いてひっそりと立っている。


「鏡ケ池」と前田第二別邸

 「ええ鏡の池の方を廻って来ました」
「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが…」
「行って御覧なさい」
「画にかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだ中々投げない積もりです」
「私は近々投げるかも知れません」
余りにも女としては思い切った冗談だから、余は不図顔を上げた。女は存外慥かである。
「私が身を投げて浮いている所を−苦しんでいる所じゃないんです−やすやすと往生して浮いている所を−綺麗な画にかいて下さい」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」
女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧みてにこりと笑った。茫然たる事多事。

−『草枕』より−

 画工と那美の会話のこの部分を描いたのが『草枕絵巻』の中の「水の上のオフエリア」。草枕交流館はもちろん、草枕温泉てんすいの展示 ホールや「草枕の湯」(男風呂)にもガラス絵として飾られている。
 小説で「鏡の池」と表されているこの池のモデルには諸説あるが、漱石が泊まった前田家別邸に隣接し、いずれも当時は前田案山子の別邸であったことから、現在田尻家の庭池が原形であることには異論のないところだろう。ゆえにこの池が通称「鏡ヶ池」と呼ばれている。
 案山子の第二別邸であったこの屋敷(田尻宅)には、一時、宮崎滔天の依頼で中国の革命家黄興が匿われていたことがあった。この時のことを田尻さんは「父から聞いた話だが、案山子の通達で村に侵入する得体の知れない人物(清朝=中国の追っ手)は村民が見張り、剣術家の行蔵、九二四郎(案山子の3男、4男)は護衛隊を指揮し、夜は自ら真剣を差して屋敷周りを巡回していた」と語る。
 この兄弟、数年後にはシャム(現タイ)の軍隊、警察に剣の指導をし、その後、姉ツナ、ツチのもと「民報社」でも出入りする要人の警護をしていたという。

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