石畳道(いしだたみのみち)
熊本市島崎から金峰山、二ノ前の峠を越えて、天水(小天の里)へ。現在「草枕」の道(ハイキングコース)と呼ばれる道の大部分が、明治30年当時、熊本と高瀬(現在の玉名市)の町を結ぶ往環(幹線道)だったという。
中には、今は使われず薮になっているところもあり、コースは迂回している。が、そんな所にも往時をしのばせる道標が建っていて興味深い。左船津、右高瀬。あるいは、左河内道、右野出道などの案内がある。
この「石畳の道」は草枕道の中で、散策するファンに最も人気高い。
追分の交差点から少し天水の方へ寄った地点から山手へ入る。坂道を数百m進むと突然に舗装がとぎれ、石畳が始まる。薄暗く、苔むし、竹の落ち葉におおわれた石畳の中にたたずめば、向こうから漱石先生が歩いて来るような錯覚さえ覚え、いつしか世俗を忘れ、漱石の時代にタイムスリップしてしまったように感じられる。
野出の茶屋跡(のいでのちゃやあと)
草枕の旅は、鎌研坂、鳥越峠(鳥越の茶屋)から石畳の道を経て野出峠へとたどり⊃く。約3時間ほど。ここまで来ると眼下に海が見える。右手に有明海と雲仙。左手に宇土半島を隔てて天草の遠望。
野出の茶屋跡の碑があるこの地は、野出集落の西側になる。
かつては、ここに隣接して茶屋が建っていたそうで、現在はみかん園となっている。
当時、小天からは馬に背負わせたみかんを熊本市新町の市場に出荷していたそうだ。朝まだ暗
いうちに家を出、峠にさしかかる頃明るくなる。この茶屋には各戸が預けた提灯が軒先に並んでいたという。「〇〇さんなもう行とらすたい。△△家は今日は出さっさんとだろか」といった会話が交わされていた、とあるご老人から聞いた。
<方言>もう行とらすたい=すでに出発している。出さっさんとだろか=出荷しないのだろうか。
二つの峠の茶屋。小天の人々にとってはこちら、野出の茶屋のほうがより身近な存在だったのではなかろうか。今は、幹線はむろん一般道からも離れ、行き交う人も少ない。
時おり、隣の農家のフェンスで囲われた畑の中から鶏の鳴き声がする。峠の茶屋の場面を思い描きながら野出の峠を発つ。
間もなく町境。那古井の里・小天は目前だ。
−山を越えて落ちつく先の、今宵の宿は那古井の温泉場だ。−
『草枕』より
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