ホーム前田家別邸 草枕交流館 草枕の里 草枕温泉てんすい ライブカメラ アクセスマップ  
ライブカメラ
  ホーム > 史跡・文化めぐり詳細  
 

草枕の里 観光スポット

史跡・文化巡り|観光ガイド
史跡・文化めぐり

(1)斎藤山貝塚(鉄斧)

玉名市天水町尾田の斎藤地区の道路に面する山の北斜面にカキを中心とする貝塚があります。 昭和30年の発掘調査で貝殻と共に夜臼式土器、遠賀川式土器(弥生前期)の北部九州系の土器がこの地域に伝播していた事が分かりました。 さらに、鉄製の斧が出土し、発掘当時、日本最古の鉄器として全国に紹介された。

 


(2)明人三位官墓

明の人、林均吾の墓。林均吾は、東洋貿易に乗り出し、家族と共にこの地に来て没したと考えられます。
この墓の存在は、この地一体が入江の近くで、明船の出入りした頃、貿易の拠点となっていた事を窺わせ、学術的にも貴重な文化財です。
玉名市天水町立花の米山地区にあり、「龍郡林均吾墓・元和七年男新作立」と刻まれています。


(3)経塚・大塚古墳群(熊本県指定史跡)

金峰山系三ノ岳から玉名市天水町の立花と部田見にのびる丘陵上には4世紀?5世紀頃に造られた大塚古墳・小塚古墳・経塚古墳・経塚西古墳の四基の古墳が連続するようにあります。
この古墳群は県下でも数少ない大型の円墳群に含まれており、有明海沿岸の古墳の変遷を知る上で、大変重要であるとして平成10年に熊本県指定の史跡になりました。

・大塚古墳
経塚・大塚古墳群のなかで最大の古墳です。発掘調査では、県内最大級の墳長約100mほどの前方後円墳である事が判明しました。また、古墳からは四つの箱式石棺と壺形土器の破片が出土しまた。主体部すでに盗掘を受けており、盗掘坑内からは、鉄鏃、鉄刀、鉄斧などの鉄製品が出土しました。また、墳頂には舟形石棺の壊れたものが散乱していた事から中心となる埋葬施設は舟形石棺と思われます。以前、この古墳の箱式石棺の一基から鏡が出土しています。舟形石棺の形態や出土した壺形土器、鉄製品などから経塚古墳に近い年代が考えられます。

・小塚古墳
経塚古墳に隣接する直径約28mの円墳。平成8年度の発掘調査で壺形埴輪が出土しました。壺形埴輪の形から4世紀後半?5世紀初頭の年代が考えられます。

・経塚古墳
小塚古墳の北にあり、現状の直径約50mの円墳。墳頂から舟形石棺が発掘され、石棺内には人骨一体が葬られており、副装品として短剣1振、外装付き短剣1振り、珠文鏡1面、碧玉製管玉3個が置いてありました。なかでも外装付き短剣は鞘の部分に紐を巻いた見事な装飾が施されて残っており、大変貴重な出土品です。出土した壺形埴輪や舟形石棺の形態から4世紀末?5世紀初頭の年代が考えられます

・経塚西古墳
経塚古墳の西約250mにあり、現状の直径約26mの円墳で墳頂部に安山岩の板石があるので箱式石棺を埋葬施設とすると思われます。出土品、築造時期などは不明です。


(4)竹崎観音

玉名市天水町竹崎にあり、本来の名称を海寄山報恩院金剛寺という。宗派は真言宗で聖観音菩薩を本尊とし、開基は天庵僧正。
境内には蓮華石と云われている長さ2m、高さ1m位の大石がある。これは天正年間、肥前龍造寺隆信出陣の際、島津義久と対軍中、不幸にも当寺も平火に焼払われ焦土と化しようとしたとき、烈火の中から本尊観世音菩薩が神通力を発現され、林間の石上にご遷座なさって五色の光明輝きわたり、目のあたりにこの霊端を拝し、異口同音に、大慈大悲の観世音を五濁悪世のこの世の中に礼した不思議を感嘆しつつ、遷座された石を蓮華石と名付けたと伝えられている。


(5)六地蔵板碑(町指定文化財)

玉名市天水町野部田にある安山岩の板碑である。平成7年に天水町指定文化財となる。地上高2.34m、厚さ30cm、地蔵高60cm。文明17年(1485)2月18日開眼。願主 徳宋。六道にさまよう人々を救うための祈願として建立したものであろう。
  六道とは地獄・畜生・餓鬼・修羅・人間・天人を指し、いずれもあの世での迷いの世界とされた。
六地蔵(陰刻 像高60cm内外の立像)
第1像 右手に杖、左手に宝珠、波上(又は草座か)に連座をおいた立像。
第2像 両手に(はつ)左手に開く、波上か。
第3像 両手で経箱、雲上を持つ。
第4像 左手で与願印、右手に如意、雲上。
第5像 持ち物、台座とも不明。
第6像 左手に幀幡(とうはん)右手は印を結ぶ。
 
文明17年開眼とあり、昭和60年に地元の人により500年祭がなされた。
この板碑は二重塔と呼ぶ水路の橋にしてあったそうで、太平洋戦争後に気づいて現存地の西側の畑に建てられ、昭和32年の大雨で倒れたあと現存へ移された。この板碑が水路の橋にしてあったというのは、明治元年(1868)の神仏判然令が原因ではないだろうか。この後廃仏毀釈運動が起こり、寺院や仏像が破壊されたが、この板碑もそのあおりを受けたと推測する。
  また、この板碑にはあらゆる所に穴が穿れているが、これは板碑の石粉を削りと取って薬としたためである。地蔵の役割の一つに病気を防ぐことが挙げられるが、板碑に穿たれた多くの穴は貴重な先人の生きた信仰の証であり、先人の信仰を示す貴重な文化財である。