草枕の里〜草枕ファン倶楽部活動レポート2

「東京の漱石とツナの足跡を辿る旅」 U
<11月15日〜17日 2泊3日>

 2日目(16日) @、新宿(夏目坂〜神楽坂)、  A、東京大学周辺(構内〜千駄木、団子坂)、 B、根岸〜芋坂
 2日目は、夏目坂から始まる東京散歩です。
 9時、現地でゲストや案内の皆さんと合流し、漱石生誕地の碑の前から坂にそって漱石の足跡を辿ります。
 まずは、道端では迷惑なので、すぐ向かいの誓閑寺(「二百十日」にも登場のモデル)に行き、ミーティングとゲスト紹介。
 そのご、ゲスト案内人の「旅する漱石先生」著者牧村健一郎氏や新宿の文化観光課橋本課長の案内で夏目坂を上り、漱石山房跡まで歩きました。

 山房跡は現在、復元工事に向けた準備中で、さらなる復元基金の募集も行われていて、公園となった一角の案内所で課長からの計画説明やガイダンスビデオの上映がありました。

 区の職員方とはここで別れ、神楽坂へあるきます。
 神楽坂では、毘沙門(善国寺)周辺を散策。東京理科大前から東大へ移動。同大でランチとなりました。

 午後は、赤門を皮切りに三四郎池、旧一高などを見学。当時の漱石の住まい「千駄木の家」跡まで歩きました。

 最後は、鶯谷駅前まで移動。根岸の「子規庵」を経て芋坂の「羽二重餅本店」まで歩き、見学散策を終えました。
 その後も不忍池畔のホテルから上野公園内の精養軒本店での交流会に往復。
 この日は合計、7km前後は歩いたようです。


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 2日目の中心、東京大学の散策。赤門前での一向。

 2日目の始まりはここ、夏目坂どおり角。この酒店の隣が夏目漱石生家跡。
 漱石生家(生誕の地)跡の碑。角から2件目の脇に立つ。

 夏目坂の上の方から。奥がスタートした角。中間の左奥に誓閑寺がある。

 漱石山房(終焉の地)跡は公園になっている。かって、区営?のアパートが立っていたが老朽化のため新築移転したとのこと。 この一角に復元整備が進められている。生誕150年の2017年の完成予定とのこと。

 芸術座(その後、芸術倶楽部アパート)跡、 ここに住んだ作家のひとり納言恭平氏の子息奥村氏に案内してもらった。納言氏の遺作類は草枕交流館に預かっている。

 地蔵坂。わら(藁)坂ともいわれ、落語抄きの漱石が通った、和良店亭(わらだなてい)もあったそうだ。

 「坊ちゃん」などに登場する毘沙門(善国寺)は神楽坂の象徴?。

 神楽坂は路地がいい。

神楽坂の狭い路地。

 東大安田講堂前。

 東大構内「三四郎池」。熊日紙の「三四郎」でも登場している。

 旧一高跡(現東大農学部)に立つ「向陵碑」この碑銘も菅虎雄の書?。

 英国から帰国後の借家「千駄木の家」跡。ここで、「吾が輩は猫である」でデビュー。以前の住人が森鴎外だったというこの家は戦火を避けて残り、現在、愛知県の明治村に保存されている。

 子規庵の前。残念ながら月曜休館だった。この後、写真奥の方の芋坂へ歩く。ちなみに、この通り右反対側に「三平堂」がある。

 芋坂の羽二重団子本店に立ち寄ったら店内には各作品に登場する場面が並べてあった。

 同じく店内。かっての様子も掲示してあり、文学散策客の立ち寄りの多さもうかがえた。

 夜は、精養軒本店(上野公園内)で交流会。23名の参加があった。

 この機会に、前田家別邸維持の基金を寄贈いただいた吉川豊子氏(今春山梨県立大教授を退職)に感謝状の贈呈、また、第1期俳句教室を通信受講された奥村弘文氏に修了証の交付を行った。 ※旅行団長が伝達授与

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