「前田家別邸」の修復工事完了(2005.4) |
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前田家別邸は、主案山子の死去後人手に渡り、しばらく温泉宿として使われた後廃業。その後、現在までみかん農家が所有しています。
明治39年。漱石が「草枕」を発表。以後、そのモデルがこの別邸であることが知られ、漱石の千円札登場などもあいまり注目を浴び、次第に全国の研究者やファンの来訪を受けることとなりました。
併せて、町は別邸の買収計画等も続ける一方、協定を結び個人所有のままで離れのみ一般公開を続けていました。
時代は移り、平成9年、町は総合交流ターミナル施設「草枕温泉てんすい」を建設。ここに展示ホールの併設などで、それまで5万人前後であった入込み客が一気に40万人と飛躍することになりました。
平成13年。従来から公開していた「離れ」(6畳)とともに廃墟寸前の「浴場」が町に譲渡、地権者の住居など生活スペースを除く部分は借地契約が成立。町づくりや各種事業に名前を冠するだけであった「草枕」の原点「前田家別邸」自身の整備が可能となりました。これで、長年の悲願であり、合併目前の天水町にとって最後の課題に取り組むこととなったものです。
平成14年度、町は県内の有識者(文学、教育、観光)、県、熊本市の関係者からなる前田家別邸整備計画研究委員会を立ち上げ、基本計画を策定。翌15年度、実施計画(基本設計含む)作成に加え、コンピューターグラフィックスによる別邸全体の仮想復元が行われました。
平成16年度、現存浴場の解体修復を中心として、消失した本館跡、離れ(4畳半2部屋)跡や庭園の整備が行われ、従来からの「離れ」(漱石館)に加え、これまで非公開であった「浴場」が初めて一般公開に至りました。
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4月24日、落成式。玄関前でのテープカット(左から、県玉名地域振興局 奥園総務審議員、町議会
中村議長、吉田町長、前田家別邸整備計画研究委員会 中村委員長、草枕の里観光協議会 坂本会長) |
漱石が宿泊した離れの6畳間。従来はこの一部屋のみが「漱石館」と呼ばれ公開されていた。 |
町長の挨拶に続き、研究委員長の中村青史先生(元熊本大学教授、文学博士)が別邸の歴史的価値などをまじえてお祝いを述べられた。 |
6畳離れ前の庭(別邸全体から見れば裏庭)。 |
客玄関部分が復元され、ここから右手の浴場、正面の本館跡、奥の離れへと見学に廻る。左手壁には全体の説明展示がある。 |
離れの庭にある漱石の句。「かんてらや師走の宿に寝つかれず」は結婚2回目の正月だというのに一人残してきた鏡子夫人への気遣いだろうか。 |
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INFOMATION >
住所/熊本県玉名郡天水町小天
(おあま)湯ノ浦 (小天温泉)
公開時間/9:00〜17:00
入 館 料/無料
そ の 他/駐車場2台分
トイレなし
※緊急時のトイレは、町施設「老人憩いの家」へ。距離150m。
<アクセス>
●菊水ICから(車30分)
●玉名駅から(バス30分)
●熊本駅から(バス40分)
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平成16年度
前田家別邸
保存整備事業
■整備対象面積
(借地範囲)
1,452平方メートル
内浴場 66平方メートル
■総事業費
43,534千円
■整備内容
・浴場解体復元
・建物遺構復元
・庭園外構整備
・見学通路整備
など
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離れの庭の端にある北口。元来別邸にはなかった箇所だが、昭和60年に、町が離れのみ地権者から借りて公開していくために設置したもの。今回も、見学巡回の出口ともなり、正面から階段で離れへ行けない方のためにも残された。出入り時間制限の遮断機あり。 |
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